六九三(戸次)基地
六九四(臼杵)基地
新設秘密航空基地施設要領
秘密基地(牧場)は戦争末期に主として陸上練習機による特攻隊の分散待機または攻撃基地として全国に新設されたものです。
本土西部は8月15日迄・本土東部は9月末迄にそれぞれ目標として整備するように計画実施されました。
この基地は新設時から特に偽装迷彩に留意して、周辺の家屋や樹木等も飛行機隊が進出してくるまで、現位置に止める等の細心の注意を払い整備したと言われています。
大分県内でもいくつか牧場が建設されますが、戸次と臼杵を紹介したいと思います。
六九三(戸次)基地
六九三(戸次)基地は現在の大分市戸次にあった呉鎮守府所属の基地です。
幅80m 長さ1600mの滑走路と周囲には格納庫や周囲には機銃陣地が構築されていました。
(周囲には8つの「倉庫」と7つの「置場」がありました。)
第512設営隊は昭和20年5月15日に設立・開隊を命じられ、当時の大分県大分郡戸次町の飛行場整備強化の為に、5月31日に進出して戸次国民学校に居住を定めて飛行場作業と兵舎建設従事しています。
飛行場は6月21日に離着陸試験飛行に成功し、6月末にはほぼ整備を完了しています。
兵舎建設(丙級)(大分市長浜にあった工員宿舎を利用)は資材収集に多少の困難があったが、ほぼ予定通り建設を進めました。
7月になると部隊の主力は六九四(臼杵)基地に移動していますが、100余名は基地設営作業に従事していました。
7月16日には鹿屋空第171偵察隊(翔部隊)が移動しています。
7月末には彩雲3機・中練3機が配備されていますが、翔部隊の引渡目録である「戸次基地格納品明細表 翔部隊」によると彩雲一一型(C6N1)と紫電一一型乙(N1K1-Jb)が4機づつ配備されていました。
8月にはこの戸次基地より4~5回の出撃があったと言われています。終戦直後、吉田中尉が自決しました。
六九三基地(戸次)概略図
テキサス大学所蔵「Inukai Sheet 4446-III, 1:50,000」より
Kyushu 1:50,000 Series L772, U.S. Army Map Service, 1945-
米軍が1945年に作成した地図です。「under construction(建設中)1945」とあるように秘匿基地とされた戸次ですが、1945年5月の時点で米軍には基地と認識されていたようです。
転圧ローラーと立看板
(戸次本町ふれあい公園にて・2016年11月撮影)
転圧ローラー
(戸次本町ふれあい公園にて・2016年11月撮影)
転圧ローラー
(戸次本町ふれあい公園にて・2016年11月撮影)
立看板
(戸次本町ふれあい公園にて・2016年11月撮影)
立看板
(戸次本町ふれあい公園にて・2016年11月撮影)
六九四(臼杵)基地
戸次基地で飛行場建設工事を進めていた第512設営隊は戸次基地の設営工事が一段落した後、戦時日誌によると昭和20年6月27日~29日に副長が新基地探索に向かいます。
(昭和20年6月9日には何らかの作業を開始した可能性も考えられます。詳細は後述します。)
6月30日には臼杵町家野附近に決定し、7月3日から工事開始することになりましたが、戸次から臼杵に移動する際にトラック事故というアクシデントが発生し、4日より開始しています。
512設600名・佐伯防400名主力とし、義勇隊は延12,764名で7月15日までに滑走路・組立工場を完成させました。
7月18日には大部分が戸次基地に移動し、100余名が臼杵にて仕上げ作業に従事していました。
8月にはほぼ完成していたそうですが、特攻基地として利用されることのないまま終戦を迎えています。
六九四基地(臼杵)概略図
臼杵・家野台地航空写真
現地の状況(旧臼杵商業高校正門前より)
2016年12月管理者撮影
現地の状況(旧臼杵商業高校正門前より)
滑走路と思われる場所に直線道路が走る。
2016年12月管理者撮影
工事開始時期についてですが、臼杵市史には昭和20年6月9日より開始とあります。
開始時期について臼杵市に問い合わせてみたところ、この日付は現地で作業に従事した方が、記録を元に職員へ証言した「昭和20年6月9日」を元にしています。
また『臼杵市史(中巻)』P253に掲載している、防衛研究所図書館蔵とする「海軍航空基地の記録」の一節、「二十年五月十五日 第五一五設営隊結成 大分地区に進出 大分県戸次基地、臼杵基地設営に従事」を元に開始時期は矛盾しないとの回答しています。
この第515設営隊ですが、第516設営隊戦時日誌・6月の「機密呉鎮守府命令第360号」に「本月1日編成設営隊の進出地、主務任務先の通定む。呉海軍施設部長は施設工事に関し各設営隊長は準備を促進し6月15日迄に進出すべし」と任地先が「宇佐」と書かれた文書を確認しました。
昭和20年6月1日に編成された第515設営隊は宇佐の航空基地整備強化に従事したと考えられます。
他の資料にも同様の記載があることから、「海軍航空基地の記録」は間違いではないかと思います。
仮に宇佐→戸次・臼杵に移動したとしても第512設営隊戦時日誌にその記載が無いのは?という疑問が残ります。
6月9日の作業内容は聞いていない為、第512設営隊か別の部隊が、事前調査の可能性も考えられます。
戦時日誌には12日間でほぼ完成したとありますが、人員を投入しているとはいえ短期間でできたのか疑問も残ります。
また滑走路について臼杵市のHPには600m×60mとありますが、滑走路の北部に電信室?があり、それを含めた敷地であり、滑走路そのものではないとのことでした。
※以下、資料より抜粋。
6/4 呉鎮長官 6/5 呉施設部長 各設営隊長
機密呉鎮守府命令第350号
本月1日編成設営隊の進出地、主務任務先の通定む
呉海軍施設部長は施設工事に関し各設営隊長は準備を促進し6月15日迄に進出すべし
設営隊任務先一覧・機密呉鎮守府命令第350号より
※昭和20年6月1日~昭和20年6月30日 第516設営隊戦時日誌
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030302000、昭和20年6月1日~昭和20年6月30日 第516設営隊戦時日誌 (防衛省防衛研究所)」より
・参考リンク 家野の飛行場-臼杵市HP-
新設秘密航空基地施設要領
新設秘密航空基地施設要領
1.位置の選定
(1)滑走路急速増勢に適する地形地質たること、特に土質及排水の良好なる箇所たること(既設道路焼跡の適地利用等に着眼すること)
(2)飛行機の隠蔽に適し且つ其の防備に強靭性ある地形を附近に有すること(襞多き山、森林其他を近くに有すること)
(3)隧道掘削に適する地形地質を附近に有すること
2.規模構造
・参考資料
昭和20年7月1日~昭和20年7月31日 第512設営隊戦時日誌
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030309000、昭和19年6月1日~昭和20年8月4日
第3112設営隊戦時日誌(防衛省防衛研究所)
昭和20年6月1日~昭和20年6月30日 第514設営隊戦時日誌
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030309100、昭和19年6月1日~昭和20年8月4日
第3112設営隊戦時日誌(防衛省防衛研究所)
昭和20年6月1日~昭和20年6月30日 第516設営隊戦時日誌
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030302000、昭和20年6月1日~昭和20年6月30日
第516設営隊戦時日誌 (防衛省防衛研究所)
大分航空基地 693航空基地
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011078900、航空隊 引渡目録 8/14 (防衛省防衛研究所)
694(臼杵)航空基地
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011079100、航空隊 引渡目録 8/14 (防衛省防衛研究所)
戸次基地格納品明細表 翔部隊
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011379000、昭和20年9月20日
引渡品目録 西海航空隊大分、戸次基地 (①-引渡目録-413)(防衛省防衛研究所)
臼杵市史
『空の彼方 海軍基地航空部隊要覧(七)基地航空部隊付属部隊等』(渡辺博史著)