回天神社は解隊時に住吉神社の境内に移されたことは一部の人達しか知られておらず、大多数の隊員は知らされていませんでした。
その御神体の電動縦舵機(ジャイロ部分)・燃焼推進軸受・発停装置(いずれも部分のみ)も収められていました。
終戦当時の地元総代は地元の氏子がある限り、住吉神社の末社として維持管理を続けていくことを当時の司令及び一部の隊員に約束していたのです。
大神回天隊の搭乗員及び基地員の間には解隊後、数年間は交流があったと言われています。
しかし、終戦後の激動及び混乱の時代を生きていく中で次第に疎遠になっていきました。
30年近く過ぎた後に、この神社が残されていることを知った元隊員達は、移築された当初のトタン葺の社殿を、浄財を集めて昭和50年に改築しました。
同年に4月24日に大神回天会が発足し、3年毎に総会及び大祭を開催することが決まりました。
昭和56年4月25日には3分の1の回天模型、平成13年4月25日には現在の場所に社殿を改築し、平成14年には模型の隣に九三式魚雷機関部分を奉納しています。
この九三式魚雷機関部分は大分空港1600m沖合で引き上げられたもので、元大神基地の隊員によって機関部分というのが確認されました。
回天
太平洋戦争の末期 堅く神州の不滅と皇国の必勝を信じ
一死国難に殉ぜんとする 若干二十の若桜 相競ひ大神突撃隊に参加
水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てゝ特攻兵器「回天」の訓練に烈々と精魂を傾倒せり
こゝに吾等関係者往時を偲び相計って回天模型を奉納する
昭和五十六年四月二十五日
大神回天隊
元隊員達はこの回天神社を中心に心を強く結びつけました。
大神の人々と共に回天の歴史を語り継いでいるのです。
例祭には海上自衛隊佐伯基地分遣隊の関係者も参加しています。
大神回天会はそれまで元隊員のみしか入会できなかった規則を平成26年から改め、一般の人も入会できるようにしました。
平成28年現在、全国で唯一の「回天会」として存続しています。
【祭神】 天照大神 應神天皇 楠木正成
【祭祀者】 大神突撃隊司令 海軍大佐 山田盛重
【分神・由来】 昭和20年4月20日 大神突撃隊廰舎内に鎮座 同年4月23日
同隊開隊式(於神前)同年4月25日
同隊解隊に付一時住吉神社境内に御奉遷同年8月25日