2-2 海上設備





 大神基地の当時の海上設備は残念ながら残されていません。
 資料を元に解説していきます。
 

海上設備

  


大神基地海上設備・周辺概略図
(クリックすると拡大します)

 大神基地には湾内に船舶が停泊し、荷揚作業に従事していた木製の桟橋や回天の訓練時や収納時に使用された「」がありました。

 別府湾内には「回天能力試験浮標」と呼ばれていた浮標が設置されていました。
 島などの目標物がない別府湾において、回天訓練時の目標物の1つとして利用されました。

 深江湾口から1500m付近の浮標は、基地開隊翌日の4月21日13時20分に「一式陸攻」が大神村瀬上南方約1500m付近に不時着しました。
 大神基地から13時30分に救助艇を派遣し、搭乗員の被害は重傷1人軽傷1人でという状況で、直ちに対岸にある大分航空隊に輸送しました。その際に機体尾部を切断し曳航しました。
 しかし、他の機体は沈没してしまったため、それ以来、同位置に浮標を設置するようになりました。

 

訓練海域

kunrenkaiiki1.jpg
大神基地訓練海域概略図
(クリックすると拡大します)
 1.南にむかい帰るコース
 2.基礎訓練海域
 3.航行艦襲撃訓練海域

 1.簡単すぎるからという理由ですぐなくなったようです。

 2.発射地点から最初に鶴見岳を目指して航走したあと、豊岡港付近に向かいます。
 a-b間に標的船がいてその下をくぐったという証言もありますが、それはないという話もありました。
 ①では亀川のガスタンクと鶴見岳の角度から位置を確定したとしていますが、具体的な位置は調査中です(亀川漁港付近にあったという話を聞きましたので、そのまま掲載しています)。
 b-c間は何か目標にしたはずですが、わかっていません。
 ②で鶴見岳と高崎山から位置を確定して、佐賀関の煙突を目標に移動したと考えられます。

usa_m267_621.jpg
佐賀関周辺航空写真
(煙が出ている所が佐賀関製錬所第一大煙突・「関の大煙突」)
 本当に観察できるか別府市内の複数箇所で観察してみました。
 ↓↓↓
 関の大煙突について

 ③で佐賀関の煙突と大神基地の第一見張所から位置を確定していました。
 dの位置から第一見張所がよく見えたそうです。
 d-e間には200m間隔の浮標があり、その間を全速力(30ノット)で通り抜けたようです。

 3.基礎訓練海域の邪魔にならないように設定したと考えられます。標的船に対して直角に当たるように訓練をしていたそうです。

 

回天処分海域

 回天処分海域についてですが、大分合同新聞の概略図及び証言を元に予想される「日々浦・大崎鼻の南の海域」が図面の該当する海域です。しかし、南側の海域の可能性も考えられます。
 
 大神小学校の位置は現在地であって、当時のものではありません。戦後間もなく大神基地の兵舎を校舎に利用していた時期もあります。


inserted by FC2 system