この施設は大神の中でも屈指の施設です。
ここにどのような施設があったのか不明ですが、変電施設があったのは間違いなさそうです。
文献によると日出町内にあった変電所を通じてここに高圧電気を送っていたようです。
また大分県公文書館所蔵「電気省局往復書類綴」の「旅行証明発行団体として証明書発給及証明に関する件」には、
昭和19年12月1日に設立された九州電気工事株式会社が県内の軍事に関係する施設等の電気工事のため、汽車による移動のための証明を得ていたことがわかります。
そのリストの中に「大神 大分海軍施設部」の名前が見られました。
大分県の「配電順位等級表」によると渇水時の電力不足対策の為に軍事最優先にしていたことがわかります。
全県下主要な施設が網羅されていますが、残念ながらこの資料には大神基地の名前は出てきていません。
海軍施設部についてはこちら
各科倉庫壕(北)及び周辺概略図
大神基地はその天然の良港を見込まれ海軍工廠候補地になり、回天基地へと誕生しました。
開隊しても基地設備は完成しておらす、基地の設営から始まり、厳しい訓練生活の日々が続き、
空襲対策から地下壕へ設備を移動しました。
そして、終戦を迎えるのです。
その大神基地の歴史や設備等を当時の資料等から追っていきます。
①西側入口付近
遠景です。高さは10m以上あるかと思います。
①西側入口付近・左側
入口付近にはいくつか四角の穴があいています。
どのような役割だったかはわかりません。
①穴内部
穴の内部です。
奥には木の板がはめられているのがわかります。
周囲には施工時の板跡の境がよくわかります。
①西側入口付近・右側
左側と同じような構造ですが、一部分だけ調査の為掘り下げていた箇所がありました。
約1m弱ほどでしょうか?土砂が堆積しているのがわかります。
①西側入口付近・右側
この壕はコンクリートで固める際に段階的に入れていたのではないかと考えています。
ある一定の高さで画像のような「境」があるのがわかりました。
②壕内部
雨が降ると内部は画像のように水浸しになってしまいます。
②壕内部
少し水が引いた時の様子です。
溝が壁沿いに切られているのがわかります。
②壕内部
壁にはフックのようなものがつけられていました。
用途はわかりません。
③壕内部・天井付近
上を見上げると2ヶ所に用途はわかりませんが、円形の穴が見えました。
③壕内部・天井付近
拡大したものです。
照明用だったのかもしれません。
周囲の堰板の跡がよくわかります。
④東側入口付近
床にはコンクリートブロックが2つ見られます。
同様のものが西側にもあるかもしれません。
⑤東側入口付近
東側入口です。
撮影した時期が雨あがりのためここまでが限界でした。
⑤東側入口付近
用途は不明ですが、カギフックみたいなものがついていました。