大神回天基地

松尾少尉の遺書と証言


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 「青春の賦」に掲載されている松尾少尉の遺書と松尾少尉の自決に関する証言を掲載しています。
 証言については当時、本部の衛兵として立っていた「I・S海軍二等兵曹」の証言です。
 聞き取り調査をして頂いた方から教えて頂きました。貴重な証言ですので掲載させて頂きます。

@遺書


  宛下士官搭乗員
  時間があれば蛇足となれど、二、三所感を述べむ。
  一、絶対漫然たる休暇気分にて帰郷せざること。敗戦は俺達軍人の責任たるに思ひを致し、
    その責を負ふべし。
  二、図太く明朗に 時局は貴様達の想像以上に変化すれども、常に明朗に頑張れ。
  三、仲良く互ひに連絡を密にして、今の気持を忘れざること。
  四、マイナス戦力たらざる如く心掛くべし。緊張が弛みマイナス戦力とならば、
    速かに正すべし。正す能わざる時は速やかに自殺せよ。
  五、酒と女とは絶対に謹め。

  娑婆では禁酒をやる位の覚悟で掛かれ、之を要するに大義に徹したる行動をすべし。

                                       終
                                  松尾秀輔 印

  宛下士官搭乗員
  一、大義に徹せよ。
  二、図太く明朗に。
  三、仲良く。
  祈御奮斗
  余は常に貴様等と行動を共にせん

                                  松尾秀輔 印
                                       終

  (青春の賦・Wikipediaより)

A証言


 ―I・S海軍二等兵曹の証言―

 私は松尾少尉自決の日、当直衛兵(海軍二等兵曹)として基地本部の門に立っていた。

 夜空をぼんやり眺めていた21時から22時頃、
 「ドカーン」という手榴弾が爆発したとはっきりわかる音が北から聞こえた。

 振り向いたが当直の為動くことが出来ない。
 気が気じゃなくなっている時に、当直士官2名が走って現れ、
 「衛兵っ!!!今の音はどこからかっ!!!」と言われたので、
 「あちらの方向ですっ!!!」と大きな声で答えた。
 士官2名は駆け出したが自分は任務の為動くことが出来ない。

 30分後、担架に乗せられた松尾少尉が手足を伸ばした状態で士官2名に連れられ、
 門から外にでる3名を敬礼して見送った。
 松尾少尉は別府の病院に連れられたと聞いた。

 翌日松尾少尉が自決したことがわかり、
 「なぜ自決したのか?」と疑問に思ったが、
 その直後から噂が出始めた。

 松尾少尉は終戦後から、
 「負けて情けない、負けて情けない」と口癖のように零していたという噂だった。
 しかし、士官より口外禁止の令が出て松尾少尉の話をすることは無くなった。

 だから私は松尾少尉の自決の瞬間は見ていない。
 この話は戦後71年誰にも話したことはないからあなたが初めてだ。


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