大神回天基地

@−6−1 弾薬処理とその後


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 @連合軍の大分県進駐
 A大神基地での武器弾薬処理・物資引渡
 B大神基地の民有地化とその後

@連合軍の大分県進駐

  
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日本における軍政構成図・1948年7月
国立国会図書館所蔵「マッカーサー元帥レポート」より
ただし赤文字は管理者が追記

 10月4日、第5海兵師団指揮下の軍政部先遺隊として、ホーマエル・ベーカー大尉ら4人が佐世保から到着しました。
 中村元治(もとはる) 知事らと進駐などに関する終戦連絡事務を打ち合わせし、同日県は「大分県進駐軍受入本部規程」を定め、協力機関として終戦連絡委員会を設置しました。

 委員長に中村知事・副委員長に第十二海軍航空廠長難波少将・大分連隊区司令官武藤中将・三好大分市長・阿南佐伯市長が委嘱されています。

 10月13日、第5海兵師団第5戦車大隊300名がコリンズ中佐 指揮の下に、佐世保から列車で大分へ進駐、旧大分陸軍少年飛行兵学校の兵舎に入りました。本格的に占領軍を迎えるため県民には大分合同新聞10月15日号にて「礼儀と誠意とを基礎として、どこまでも友好裡にあらねばならない」と注意しています。
 この頃、外務課では業務が多忙となり、待遇等に抗議するため、職員による業務ボイコットのトラブルも発生しました。

 10月18日、占領軍から、外務課を通じて、大分・別府市民に対する交通道徳の厳守と、占領軍の自動車が停車すると女子や子供が取り巻き見物するので止めてもらいたいと要請されるなど、多少のトラブルもありました(「大分合同新聞」10月20日号)。

 11月5日、占領軍は第32歩兵師団所属の砲兵部隊(指揮官 メルビン・エル・マクレアリ大佐)に代わりました。

 12月10日には中津地区には小倉の129野砲部隊より570名が、元神戸製鋼男子寮の宿舎に進駐。高田町(豊後高田市)、国東町、竹田町(竹田市)、玖珠町にも年末までに大分占領軍より15名前後が分駐しました。(「戦後県政の回顧」より)。

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A大神基地での武器弾薬処理・物資引渡

  
 大分県に残されている引渡目録を見てみると、引渡しは4回にわけて実施されています。

引渡目録・大神突撃隊

「引渡目録・大神突撃隊」転載禁止
大分県公文書館所蔵『引継調書(佐賀関要塞司令部・
小倉造兵廠大分工場・大神海軍突撃隊・福岡陸軍需品廠(材木))
』より。

 参考資料↓↓
 ※大神突撃隊引渡目録−大神回天基地版Ver1.0−
 上記資料を元にして大神突撃隊引渡目録に関連する各種資料をまとめたものです。

 最初は11月15日に基地の武器弾薬・連合軍に引渡しています。

 第八号大分県外務課弾薬処理一件」を見てみると、
 機銃・拳銃・小銃弾の101kgは海中投棄 所要人員5名。
 発炎筒・機銃・小銃・拳銃は要部を鎚にて破壊 屑鉄 所要人員5名

 回天16基ガス切断(ガス切断要具は大神のものを使用)によって2〜3個に分割 屑鉄 2名3日間
 ※しかし、後に深江の海岸に回天が打ち上げられていることから、全ての回天を切断したわけではないと考えられます。

 回天用教練頭部駆水頭部のこと)18個 屑鉄 所要人員6名。

 回天実用頭部13個 大神港より大発で、2個づつ横抱き別府湾内水深50米附近に海中投棄。30名の人員で3日間。

 ※連合軍は水深100m以上の場所に海中投棄する予定でしたが、水深100m以上の海域に大発の運搬は不可能とし、そのためには起重機船が必要で大神湾内は水深3mのため起重機船の入港不可能としています。

海軍関係・兵器処理要領

「海軍関係・兵器処理要領」転載禁止
大分県公文書館所蔵『海軍関係・兵器処理要領』より。

 海中投棄した海域は調査中ですが、昭和29年大分合同新聞に掲載された写真によると、深江で打ち上げられた回天一型改一の胴体・機関部分が残されており、地図には「日々浦・大崎鼻の南の海域」に廃棄されたことが記されていました。
 また関係者の証言及び大神基地の記録によると、米軍将校立会いの元、当時の日出町警察署長及び旧軍関係者が回天を2基を「日々浦・大崎鼻の南の海域」に海中投棄した際に立ち会ったとも言われています。
 しかし、大神基地軍関係者の記録には「豊後水道で海流が速いところ」という記載しかなく詳細は不明です。

 ※大分県内の兵器弾薬処理について
 大分県内の兵器弾薬処理は、昭和20年12月29日に大分県外務課で大分占領軍司令官宛に作成された「兵器弾薬処理状況に関する件」によると、宇佐を除いて、ほぼ昭和20年内に終了したことがわかっています。
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兵器弾薬処理状況
大分県公文書館所蔵『占領軍・大分県外務課「兵器弾薬処理状況に関する件」』より。

 ※大神基地の弾薬処理業者について
 大神基地の弾薬を処理した業者の詳細は不明です。
 しかし、上記の弾薬処理一件の回天処理に関する弾薬処理費の領収書を集めた弾薬処理費支払證憑(とうひょう)書(昭和20年2月分)(518,997円46銭分)によると、大分港運株式会社が昭和20年11月14日より大分航空隊その他の爆弾爆薬を、米軍指示により大分−日出間の海域に投棄作業した27日分の領収書が残されています。

 大分港運株式会社は1945年11月12日付で見積書を提出していますので、その2日後から作業を始めたことがわかります。大神基地及び大分航空隊等をあわせて4,135tの弾薬が海中投棄され97,389円の処理費が大分県に請求されています。

 参考資料↓↓
 大神突撃隊・第十二海軍航空廠・西海海軍航空隊大分基地弾薬・兵器処理実績及び要領一覧

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海中投棄の状況・場所や時期等は不明
国立国会図書館所蔵・マッカーサー図版集より


 この時の人夫の給料及び経費に関しては連合軍から大分県に請求がきています。

 これは大神だけに限ったことではありませんが、終戦連絡中央事務局から外務課に1945年12月に送られた文書によると、本来なら国が負担すべき経費ではあるが、国の予算が決定していないため、いったん県で処理をした後に国(内務省)に必要経費を上げて欲しいという指示が出されています。
 その際に「爆弾処理経費基金(経費)」と「一般経費」に分けて計上するようにと記されています。

 12月7日・ 12月12日には大神基地の物資の一部が大分県への引渡しが実施され、
 経済部商工課・農林部食料課・衛生部医務課・公衆衛生課・通工局(大分電気通信工事局)・石結社(詳細不明)が、それぞれ引渡先になっています。

 1月17日(1946年) に大神基地の基地施設・物資を連合軍・大分県に引渡して終戦業務が完了しました。
 大神関係者の資料にはいずれの引渡しの際にも米軍が立ち会ったことが記されています。
 基地施設は引渡目録には明確な返還先等は記されていませんが、これは大蔵省(地方財務局)に移管することを明記した文書「主税第252号(昭和20年9月21日付)」(昭和21年土地建物国有財産綴)から、土地や基地施設に関しては大蔵省(地方財務局)の管轄になっていたためと考えられます。

 土地の再利用に関しては昭和20年10月19日に「特殊物件処分大綱」の閣議決定により、中央では比較的大規模物件を、地方では小規模物件の処理を、それぞれ行うことが決まりました。

 しかし、同年11月24日のGHQ指令「戦争利得の排除及び財政の再建に関する覚書」により不動産・設備等の処分については、一件ごとにGHQの許可が必要でした。
 さらに「日本軍の建物施設、土地に関する件」によって連合軍の必要としない旧軍財産を政府に返還することが示されましたが、返還の際には使用目的が明記されていました。
 しかも、最終処分権はGHQにあることが明記してあり、処分促進の障害となったのです。

 一部の機材については民間業者に払い下げられています。
 内務省調査部長から大分県知事に宛てた「元海軍施設内酸素分離機払下に関する件」によると大神基地にあった酸素分離機(100立方米/時)・2台を日本カーバイトに払い下げすることが決定したと記載されています(「昭和21年土地建物国有財産綴」より。内発調第120号(昭和20年11月16日付))

 大発などの船舶については地元の大神漁業組合や水産試験場に払い下げる案が県の記録に残されていますが、詳細はわかっていません。

 参考資料↓↓
 ※旧陸海軍所有船舶配分案
 哨戒艇等を漁船などに使用するよう大分県占領軍司令官に要請をだした文書ですが、掃海任務についたりそのまま解体処理(怒和島)されていることから、要請が全て通っていないことがわかります。

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B大神基地の民有地化とその後


 大神基地で処分が決まっていなかった土地・施設(魚雷調整場付近)に目をつけた大分交通会社門鉄局(運輸省門司鉄道局)が払い下げ申請をだしています。

 大分交通会社は大規模な造船工場を、門鉄局(運輸省門司鉄道局)は教習所を建設する予定でしたが、旧地主が土地変換を求め大分県に抗議し、優先的に旧地主に払い下げすることを県は約束したため、両者は申請を取り下げました。

 大神村ではこの施設の再利用に対して村営の大神産業株式会社(仮称)を資本金約500万円で設立しようと動いています。水産加工・造船・肥料製造等を目的とした会社だったようですが、詳細はわかっていません。

 その後、GHQから許可がおり、逼迫した食料事情を改善するための対策として農地への転用が進められました。大分県内でも同様の動きが見られ、GHQ覚書に沿って内務省に提出された「特殊物件処理状況報告書」によると、可耕面積と入植者状況が記されています。
 また同報告書には大分県内の旧軍土地利用に関する報告がなされ、旧大神基地では宿舎を大神小学校に転用したり、民間人に提供したことが一覧で掲載されています。

 参考資料↓↓
 大分合同新聞・昭和21年2月15日掲載記事
 陸海軍施設利用状況一覧

 大神基地の樹木に関しては農林省の管理に入っています。
 その後は25町歩あった土地の大半は民家や畑などに姿を変え、かつての魚雷調整場は水産加工工場や運送会社の土場等に変遷し、日出町が管理しています。

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