1-4 若葉隊の出撃


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 ①展開先の変遷
 ②戦備回天の整備
 ③出陣式そして麦ケ浦へ
 

①展開先の変遷

  
 出撃予定者の内、士官2名を除いた6名は「若葉隊」と呼ばれていました。
 総勢20名が十兵舎にて生活していたと言われています。
 集中的な訓練を受けていたのは前述したとおりですが、最初に第二特攻戦隊はどこに展開を予定していたかを見ていきたいと思います。

 5月6日に第二特攻戦隊司令からの各訓練基地に発せられた電文によると、基地回天隊の展開予定としては次の通りでした。
 浦戸8基  平生  5月20日
 大堂津8基 大津島 5月27日
 宇佐8基  光   6月3日
 細島8基  大神  6月中旬

 5月21日付第二特攻戦隊参謀から大浦基地に宛てた電文で6月中旬回天出撃可能数の照会電に返答する形で以下の内容のものが送信されています。

 ・光突撃隊   基地用 11 潜水艦用 17
 ・大津島分遣隊  同  8   同   14
 ・平生突撃隊   同  12  同   6
 ・大神突撃隊   同  8

 この電文からもわかるように大神基地の回天隊(嵐部隊)は基地回天隊要員として訓練を続け、6月中旬には出撃できるように訓練を続けていました。

 6月に入ると南九州などに基地回天隊に次々と潜水艦による輸送によって配備が進められていきますが、6月29日に第二特攻戦隊から各回天訓練部隊に宛てた電文には回天基地進出は7月末進出を完了する方向で至急準備計画を実施するように通達が出ています。
 ここで出たのは以下の通りです。

 ・細島  第八回天隊   10基
 ・内海  第九回天隊   6基
 ・外浦  第五回天隊追加 4基
 ・大堂津 第五回天隊追加 4基
 ・内浦  第十回天隊   6基
 ・細島  第八回天隊追加 2基
 ・麦浦  隊名未定    8基

 大神基地の8基は麦浦(麦ケ浦 現・南宇和郡愛南町)が第八特攻戦隊第21突撃隊所属第十一回天隊として、大神基地から当初から出撃予定だった8名が戦備回天と共に出撃することが決定したのです(名称の決定時期は不明)。
 第21突撃隊の本部は四国南西岸の宿毛(すくも)町にあり、回天のほかにも蛟龍隊、震洋隊が配備されていました。
 第八特攻戦隊は呉鎮守府管轄下にあり、7月20日付けで第二特攻戦隊から分離しました。
 所属していた隊は第21突撃隊の他に佐伯海軍航空隊・第23突撃隊(主配属地:須崎・第四回天隊)(浦戸・第六回天隊)・第24突撃隊(主配属地:佐伯)(海龍・邀撃艇)・呉潜水戦隊が所属していました。

 ◎第21突撃隊電文より
 7/22 8Sz→8Sz全般 呉鎮・佐鎮・阪警 6F 2Sz 10Sz
 第八特攻戦隊電令第一号
 1.20日附を以て旧呉防備戦隊は第八特攻戦隊(呉鎮部隊)に改編、
  第21、23、24突撃隊を併せ編入せらる
 2.既発布の呉防備戦隊令達(展開部隊に関係あるもののみ)は
  特に定むるものの外引続き当隊に適用す
 3.各隊現任務を続行すべし

 また大神基地では実施できなかった狭水道通過訓練等を大津島に派遣して実施しています。

 昭和20年7月7日~7月14日 久堀・大岩・長谷川・塩月
 昭和20年7月19日~7月23日 中谷・高橋・清水・原村

 時期は特定できていませんが、航空母艦海鷹を使った訓練を実施しています。
 事前に大神基地の兵員が打合せに海鷹の艦橋に向かっています。

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②戦備回天の整備

  
 出撃用に実用頭部を装備した戦備回天を整備していますが、派遣基地に到着してから出撃するまで整備されることがないため、より慎重に整備されたと言われています。
 大まかな流れは以下の通りでした。

 機械部…分解・調査・洗浄(油)⇒漏気が無いようにパッキンを新調
 塔内…バラストの位置によりツリムの基礎を調整 バラストタンクの水量調節は金氏弁
 ・操縦装置(電動縦舵機・人力)の調整・確認、各バルブの確認

 第二気室を筒から取り出し残気を放出・汚れの有無を確認して第二空気(酸素)を充填。
 空気・燃料も充填。
 電動縦舵機を装着⇒第二気室を塔内に納め機械部と接合

 整備場南西部の実験水槽にて水槽実験
 ・1人中に入り特眼鏡の昇降・人力操舵機⇒報告⇒再点検
 海上実験
 ・1人中に入り特眼鏡の昇降・人力操舵機・発進前準備操作⇒報告

 整備場
 ・電動縦舵機作動実験→再点検→調整

 実用頭部(2300kg・1550kg)の着装
 ・信管を装備する箇所の蓋を開ける。
 ・持ち込まれた時は火薬が詰まっているので、タガネと金槌で信管を埋める為の穴を
 (直径15cm 高さ20cm程度)ほる。
 ・信管を穴に挿入して隙間を火薬で埋める。
 となっていました。
 あとは操縦席から操作する安全解脱装置等と信管を繋げるなどしたと考えられます。

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③出陣式そして麦ケ浦へ


 昭和20年8月3日の夕方に第20号一等輸送艦が大神基地に入港し、神社下の格納壕に格納していた戦備回天を兵器や資材、整備員・兵員と一緒に積載しました。

一等輸送艦
一等輸送艦(写真は第5号・甲標的を搭載している)
(MONOCHROME SPECTER様より)

 久堀隊と中谷隊のそれぞれ4名は出撃準備を済ませ、入浴後、司令以下幹部が列席する出撃祭典に臨みました。副長より「七生報国」の鉢巻をしめてもらい護国刀を受け、士官室で別れの盃を交わしたのです。
 「非理法権天」「八幡大菩薩」の幟が白くはためく中、舷側に搭載された回天を確認後、アメリカ軍の空襲を避けるため真夜中に、麦ケ浦に向けて出撃出港しました。

 〇出撃した隊員の氏名は以下の通りです。
  中尉  久堀弘義  兵科三期予備士官、航海学校
  少尉  中谷 章  兵科一期予備生徒出身士官、航海学校
  一飛曹 大岩正一  第十三期甲種飛行予科練習生出身下士官(奈良空)
   〝  清水哲郎    〃               ( 〃 )
   〝  塩月昭義    〃               ( 〃 )
   〝  高橋道彦    〃               ( 〃 )
   〝  長谷川安正   〃               ( 〃 )
   〝  原村 正    〃               ( 〃 )

※最初、水野章氏が出撃メンバーに選ばれていましたが、原村氏に急遽変更になりました。同郷の人達で固めたという説もありますが、本当の理由はわかりません。
 水野氏は悔しさのあまり整備員の兵舎で妬け酒を飲んでいたそうです。

 7月28日に呉を中心にしたアメリカ軍の大規模な空襲があったばかりで、豊後水道もアメリカ軍の航空機・潜水艦の行動範囲に入っていました。懸念されていた空襲や潜水艦により攻撃もなく、幸い何事もなく8月4日の11時30分頃に到着しました。
 突然の入港で急速揚陸でしたが、地元の人々多数の協力により、兵器、資材の揚荷作業が短時間で終了しました。
 回天8基は宿毛湾北岸の麦が浦半島に設けられた北向きの格納壕に収められたのです。

 第20号一等輸送艦は直ちに瀬戸内海に戻りましたが、8月5日、光基地沖の小祝島付近でアメリカ軍が投下した磁気機雪に触雷し損傷。以後の回天の輸送作戦に従事できなくなったのです。

麦ヶ浦基地施設概略図
麦ヶ浦基地施設概略図(JARIN作成)
防衛省防衛研究所所蔵資料・兵器燃料需品・施設舟艇車両引渡調書(麦ヶ浦基地)の
「麦ヶ浦基地施設要図」を参照してに制作。一部WEB用に改編。


麦ヶ浦基地周辺航空写真
(クリックすると拡大します)

 当時の麦ヶ浦基地は回天8基の他に六年式魚雷を17本と25粍機関銃を装備した部隊でした。
  引渡目録に残されていた武器等の内容は以下の通りです。

 特攻兵器
 回天   1・3・9番壕 各2基
      6・13番壕  各1基

 回天架台 1・2・3・4番壕 各2組
      6・9・13番壕  各1組

 水雷科兵器
 六年式魚雷  5番壕 6本
        8番壕 11本
 四年式縦舵機 5番壕 6本(魚雷に装着)
        8番壕 11本(魚雷に装着)
 運搬車    桟橋 1台

 砲術化科兵器
 25粍機銃架台 10番壕 1台
        陣地  1台(所在地不明)

 隊員達は到着後、出撃ルートを決定するために実地踏査を行うなど、出撃準備を進めていきました。特攻隊員として遠巻きに見ていた現地の人達との交流もありました。
 8月12日午前10時頃第十一回天隊に12時間待機が発令されました。しかし、その後出撃命令は出ることなく8月15日をむかえたのです。




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