大神回天基地

@−3−1 大分の空襲と空母「海鷹」


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 @空襲の合間をぬっての訓練
 A基地秘匿と空母「海鷹」の擱座

@空襲の合間をぬっての訓練

  
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 訓練は警戒警報や空襲警報の合間をぬって続けられました。警戒警報が発せられると出撃予定の搭乗員も例外なく他の搭乗員と同様に双眼鏡を手に監視台に立って敵機の監視をしていました。
 そして、対岸にあった大分市がB29による空襲を受けているのを歯軋りする思いで監視していました。

 「大神回天隊の歌」は空襲の最中、防空壕で大神基地隊員が作詞しました。

 当時の大分市は瀬戸内海に面する東九州最大の都市で、県庁・連隊区司令部の所在地でした。また佐伯・大分・宇佐の海軍航空隊にとって重要な第12海軍航空廠があり、後備の拠点から次第に軍事要塞化を進めていたところでもありました。また、日豊・久大・豊肥本線の中枢でもあり、鉄道操車場を備えた陸上輸送の要衝でもありました。

戦前の大分市電車通り
戦前の大分市電車通り・大分市誌より
国立国会図書館所蔵

 その大分市が米軍の攻撃目標になったのは当然だったのです。

 3月18日に大分県は米第58機動部隊の空母艦載機による攻撃を受けました。
 これはアメリカ海軍が4月1日の沖縄上陸に向け、日本軍の反撃戦力を事前に殺ぐため、日本本土を機動部隊で攻撃することを目的としていました。
 この機動部隊はウルシー泊地を出撃し九州から四国を東岸沿いに北上しながら、鹿児島から日豊本線沿いに航空機によって航空基地を主目標に輸送路・軍需工場を攻撃したのです。(九州沖航空戦・3月20日神雷部隊初出撃)

 この空襲を皮切りに4月21日・5月8日・7月10日・8月10日の他に22回の空襲を受け、特に7月16日の空襲は米軍資料によると、当夜の攻撃目標は大分市郊外地区とされていましたが、実際には大分駅を目標にレーダー誘導された120機以上のB29による焼夷攻撃を受けたのは市中心部の商店街などで、郊外地区では大分川から大野川尻にかけての一部と白木付近にわずかに投弾があったにすぎないものでした。

第21爆撃軍団作戦任務報告書
B29の進入経路・大分は272
第21爆撃軍団作戦任務報告書より
国立国会図書館所蔵

 使用された焼夷弾は

 M47A2:4ポンド(約 1.8 kg)のナパーム弾。外形は六角柱。
    6発ずつ束ねてT19集束機に搭載されました。
 M17 :集束焼夷弾コンクリート用

 と言われています。

1945年7月16日大分空襲
1945年7月16日大分空襲・空襲時の米軍撮影
米国戦略爆撃調査団文書より
国立国会図書館所蔵
※右側が北・岩田町付近

空襲・大分
戦後米軍によって撮影された大分市内の様子
日本勧業銀行・大分支店(現みずほ銀行・大分支店)付近より南西方向を望む
米国戦略爆撃調査団文書より

 合計826tもの焼夷弾が投下され、その被害は「大分駅から海が見えた」と言われるほど焼き払われました。

 その後も空襲が続き、終戦までの死者は177人、負傷者は270人にも達しました。

戦災概況図1
戦災概況図・大分(国立公文書館所蔵)

戦災概況図2
同・拡大画像

※本資料は昭和20(1945)年12月、戦災の概況を復員帰還者に知らせるために、
第一復員省資料課によって作成されたもの。
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A基地秘匿と空母「海鷹」の擱座


 「回天」は奇襲兵器として期待されていましたので、その性格上、大神基地だけに限らず基地建設の際には、特攻基地であることを秘匿するのは絶対必要条件として、海軍上層部からカモフラージュするよう厳命が出ていました。

 6月9日には施設擬装状況調査のために零式水偵が平生基地より来ています。

 6月30日には呉鎮守府長官金沢正夫中将(1945年5月1日就任)が巡視のため大神基地に来ています。

 大神基地には九六式二十五粍高角機銃が2基配置されていましたが、空襲警報のたびに配置にはついたものの、基地秘匿のために使用厳禁という命令が出ていたのです。

 兵舎などにカボチャを置くなど、カモフラージュされていた効果もあってか、ロケット弾による攻撃で戦死者1名(氏名不詳)が出ただけでした。
 当時は制海権・制空権ともに連合軍の下にあり、艦載機による輸送船だけでなく、機帆船や漁船の被害も出ていました。白昼に訓練をするのは命懸けでした。

 また防諜の観点から「突撃隊」の名称は使用せず「嵐部隊」と呼称するように通達が出ていました。例えば大神突撃隊は「大神嵐部隊」といった具合でした。

 1945年7月24日と28日には軍港呉を中心に大規模な空襲が連合軍によって実施されました。

爆撃を受ける榛名
江田島小用沖で爆撃を受ける榛名(1945年7月28日)・Wikipediaより

 別府湾にいた空母「海鷹」も連合軍による空襲を回避するために、「海鷹」は山口県室津に向け別府湾を出港しましたが、まもなく米機が敷設した磁気機雷に触雷し大破してしまったのです。
 近くにいた駆逐艦「夕風」に曳航され、別府沖の日出町の城下海岸で擱座しました。

 動けなくなった「海鷹」に28日、空母エセックスから発進した第83飛行隊・戦闘爆撃隊(F4U-1Dを中心とする編制。F6F-5も?)の攻撃により、HVAR(高速航空ロケット・High Velocity Aircraft Rocket)の直撃弾を受け発電機が停止してしまい、浸水増大と有毒ガスの発生により船体を放棄しました。

米空母エセックス
米空母エセックス・Wikipediaより

コルセアF4U-1D
コルセアF4U-1D・HVARを装備している(1945年2月)・Wikipediaより

 その後は空母「海鷹」の発電機が使用不能になったため、機銃や高角砲を撃つ為の電力を地上送電してもらい日出小学校付近に対空陣地を構築し空襲に備えました。
 「海鷹」の物資の一部は大神基地に搬入されています。




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