大神回天基地

@−3 訓練・整備


bar2.png

 @訓練内容
 A訓練の流れ
 B出撃予定者の選抜
 C命掛けの訓練
 D整備状況

@訓練内容

  
 大神基地だけに限らず、回天の訓練は大きく分けて学科の「術科教育」と回天操縦訓練である「錬成訓練」(※海軍公報第136号昭和20年5月22日による)があり実施されました。
 まず回天搭乗員として特攻隊員としての採用が決まると予科練出身の隊員達(他の一部の隊員達も)は「船の操縦」に慣れさせる必要がありました。そこで同じ特攻艇であった「震洋」に乗って訓練をしました。
 隊員によっては長崎県の大村湾に面した『川棚臨時魚雷艇訓練所』(長崎県東彼杵郡川棚町大村湾)で訓練を実施した隊員もいます。そこで1ヶ月ほど訓練を受けた後、光基地等に配属され、大神基地に移ってきました。
 大神基地に配備されて回天搭乗員用の衣服等を支給されたのです。

 彼らは「術科教育」と「錬成訓練」を受けて技術を磨きました。

 「術科教育」(1ヶ月)
 ・「回天」の戦術戦務の大要
 ・局地戦闘法及其の他の用法
 ・操縦法
 ・航法
 ・襲撃法
 ・発射法
 ・機構
 ・性能
 ・取扱整備法の大要
 ・基地関係要務

 回天の構造については座学だけでは理解できないので、魚雷調整場に出向いて勉強をしていました。その教科書は軍機に触れるので「軍極秘」とされノートをとることは厳禁でした。
 机上襲撃演習機を使った観測訓練を各自で実施していました。机上襲撃演習機は極めて複雑な歯車の組み合わせたもので、兵員が別に待機して操作をしていました。
 特眼鏡(潜望鏡)を覗いて、戦艦だとか巡洋艦などの艦種を判断したり、敵艦の速度や航行方向、方位角を観測するもので、自由な設定ができ、本物そっくりだったと言われています。
 この訓練は攻撃をする際の判断を決定づけるために、特に重要で、潜水艦なら数人で行う作業を一人でしなければならない回天の場合には特に熟練した技術が必要でした。

 「錬成訓練」(2ヶ月・20〜25回)
 訓練内容の最初は簡単な場所を行って帰ってくる航法から始まり、その難易度は徐々に上がっていきました。基地開設当初は地上練習基はなく(6月29日に到着)、最初の搭乗訓練は教官と一緒に乗り込んで、搭乗員自ら動かしました。
 搭乗員の練度が上がってくると他の同乗者を乗せて訓練を実施していたのです。

 ・機械発停・増減速法
 ・対製観測法・変針保針法
 ・露頂状態検討
 ・潜入露頂潜入法
 ・航法
 ・隠密露頂潜入法
 ・ツリム作成法
 ・狭水道通過訓練
 ・潜水艦発進訓練
 ・航行艦襲撃訓練
 ・艦底通過

back_small.png pagetop_small.png

A訓練の流れ


 訓練前日に本部作戦室横の廊下に搭乗予定表が掲示されると搭乗予定者は海図上で予定コースを決め、そのコースに従い出港します (詳しくは別項を参照)。

 各訓練時間は約1時間ほどで、潮の流れなどの影響で、予定のコースからそれてしまうこともあり、危険な時には、追躡艇から「発音弾」と呼んでいたが手榴弾みたいなものを投げ込んで知らせました。爆発音を聞いた搭乗員はエンジンを停止させます。

発音弾
発音弾
(依代之譜・帝国陸海軍現存兵器一覧様より)

 海上では再起動もできないし、ハッチを開けられないので、横抱艇が回収にくるのを待つしかありません。そして、潜水夫がロープで縛り付けて基地へ戻ります。
 追躡艇(ついしょうてい)と呼ばれる艇も一緒に随伴し訓練基の様子を観察していました。この追躡艇には「震洋」を使用していました。

 大神基地は3つの海域を利用したと言われています。最初は海面に配置したブイを2・3周まわり帰ってくるといったものでしたが、別府湾には狭い海域というのがないので、狭水道通過訓練だけは大津島等で実施したと言われています。
 航行艦襲撃訓練には目標として徴用した「漁船」や「機帆船」が主に使用されましたが、当時、特別攻撃機の目標艦として別府湾を中心に活動していた空母「海鷹」も出撃者のために使用されました。空母の喫水は10メートルほどで、艦底を通過するには15メートル以上の深度を必要としていました。

 大神基地での実地訓練の開始時間は訓練の内容や訓練基の整備状況、そして、連合軍による空襲によって前後してきますが、朝は7時台から、昼からは15時台に実施されています。出撃者のための黎明訓練は7月20日2時と7月26日3時に実施されています。
 その回数は訓練開始から7月まで248回、発射訓練が実施されています。8月の回数はわかりませんが、終戦を迎えた8月15日以降も訓練を実施していることから300回近くまで実施されていたのではないかと思われます。
 (大神基地回天訓練時期・回数一覧

 訓練終了後は基地幹部と士官同席の搭乗員、追躡艇指揮官による「研究会」があり、そこで訓練時の様子や問題点等を協議したのです。
 研究会では最初に搭乗員が訓練的・訓練項目・訓練時間・航海計画と実際の航跡・そして観測結果のデータ・搭乗員の所見を発表しました。
 しかし、搭乗前の打ち合わせ通りに実行できなかった場合は、将校も兵も区別なく、「どうして海図通りに動かなかったか」等の質問が出て、その後も、「頭を冷やせ」と、しばらく搭乗できなかったと言われています。
 回天搭乗員285名に対して、最大でも23基しかない「回天」に搭乗できないというのは死活問題でした。

back_small.png pagetop_small.png

B出撃予定者の選抜


 大神基地には285名の回天搭乗員がいましたが、数少ない兵器「回天」を最も効果的に練度を向上させるために必要上、1次4名・2次4名を含んだ総勢20名近い出撃予定者を決めて集中的に訓練が行われました。

 搭乗予定者は光基地等で「術科教育」を受けた下士官搭乗員が中心でしたが、選抜に関しては先任順の可能性も考えられますが詳細は不明です。

 所属の分隊から離れ、飛行科が使用していた兵舎「飛行科指揮所」の「十兵舎」に入りました。
 各分隊にはそれぞれの課業が課せられていましたが、これら搭乗予定者はそれも免除となり、回天操縦訓練に専念していました。そのほかの待遇についても従者こそつきませんでしたが、食事は下士官並みと他の搭乗員とは違っていました。

 各基地の出撃搭乗員は必ず当時海軍の保養地でもあった別府に入湯上陸し、その際に大神基地に立ち寄ったと言われています。

back_small.png pagetop_small.png

C命掛けの訓練

  
 大神基地でも訓練中の故障や事故というのは避けて通ることのできないものでした。
 訓練最中にエンジンの停止、イルカ運動によって制御不能になりエンジンを緊急停止させ応急ブロー弁による浮上、砂浜に乗り上げたり、目標艦となった機帆船に接触して特眼鏡を壊したり、許可なく入ってきた機帆船や漁船に接触した場合もありました。

 大きな事故が続いた日には司令による計らいで1日休暇を与えるなどの配慮がなされました。

 しかし、出撃を前に控えた7月29日に海底に突っ込んでしまうという大神基地でもっとも大きな事故が発生しました。
 港の入口付近の海底は、川からの砂や泥などの堆積物が厚く堆積していたのです。
 その海底に突っ込んでしまった訓練基は、あたりもかなり薄暗くなってきた20:10に僅かに気泡が出ているのを発見したものの、大神基地での作業艇では引き上げることができませんでした。
 そこで対岸にあった西海海軍基地航空隊に救援を要請し、救難艇が20:30に入港し、作業に従事しますが、それでも救出することはできませんでした。
 生存時間の10時間を超えたぐらいに回天が壊れるのを覚悟の上で艇中央部にワイヤーを引っ掛け垂直に引き上げたところ、日付がかわった4:00に引き上げに成功しました。
 幸い艇の中にいた隊員も生存しており、九死に一生を得たのでした。

 搭乗員たちはこういった「命掛けの訓練」をくぐり抜け、出撃していったのです。

back_small.png pagetop_small.png

D整備状況


 基地開設当初は基地設営も遅れていましたが、訓練用の回天だけでなく機材も完全ではありませんでした。
 大神基地からは訓練に支障があるとして訓練基を輸送する際に完全に整備したものを輸送するようにと要請を出しています。

 回天は九三式酸素魚雷を流用した兵器でその取り扱いには非常に神経を使いました。しかも回天は極秘兵器で魚雷整備員が回天整備の知識があったわけではないのです。このような事情もあり整備員の数も足りていない状況でした。
 昭和20年5月12日には司令自ら整備員を多く入れるように第二特攻戦隊に要請を出しています。

 大神基地の昭和20年5月半ば時点の現状人員は整備長は不在。整備班が5個編成できればいいほうでした。また基地には16基の架台が設置されていましたが、3分の1しか整備することができなかった状態だったのです。
 整備員の不足を補うための苦肉の策として搭乗員の中から選抜し整備科に回しました。中には十分な説明もないまま配置され納得できない搭乗員もおり、搭乗員とのあいだで小競り合いも発生していました。逸る気持ちを抑えながらそれぞれの任務に対応していったのです。
 そのような中でも大津島分遣隊や光基地から人員が補強され、大神基地で16基の架台が順調に稼働し始めたのは6月を過ぎてからでした。
 そして、整備員達は通常なら3日間30時間以上かかる回天の整備を、訓練の回転率を上げるために少しでも速い整備を求められたのです。大神基地では訓練終了後1日半で再訓練ができるように整備した(すべてではもちろんありません)と言われています。

 整備方法としては訓練が終わった回天は一度、分解して部品の状態にし、酸素に触れると爆発する危険性があったため、完全に油抜きをし、再度組み上げ、燃料及び酸素を補給していました。その際に縦舵機や横舵機に問題があれば整備場内にあった整備室に持ち込まれ整備されました。

 整備員の術科教育は以下のようになっていました。
 「術科教育」(1ヶ月)
 ・機構
 ・性能
 ・調整法
 ・基地設置
 ・運搬法

 「錬成教育」もありましたが、詳細はわかっておりません。


home.png contents.png back.png next.png pagetop.png
inserted by FC2 system