より大きな地図で 大神回天基地関連地図 を表示
(大神基地周辺関連地図・JARIN編集)
※うまく表示されない場合は拡大してご覧ください。随時更新していきます。
ただしこの地図の情報には一部調査中のものが多数あります。
推定位置は資料を元にしていますが、あくまでも「推定位置」です。
取り扱いにはご注意ください。
(大神突撃隊司令印・戦時日誌より・JARIN編集)
開隊しても基地設備は完成しておらす、基地の設営から始まり、厳しい訓練生活の日々が続き、
空襲対策から地下壕へ設備を移動しました。
そして、終戦を迎えるのです。
その大神基地の歴史や設備等を当時の資料等から追っていきます。
①基地の歴史
1-1 回天訓練基地・大神基地の建設と大神突撃隊の開隊
大神海軍工廠の建設から回天基地創設、大神基地の組織を解説します。1-2 回天輸送と初訓練
大神基地までの回天輸送方法と初訓練までを解説します。1-3 訓練と整備
大神基地における回天の訓練方法及び整備状況を解説します。1-3-1 大分の空襲と空母「海鷹」
大分市内の空襲と空母「海鷹」の擱座について簡単に解説します。1-4 若葉隊の出撃
出撃隊は選抜されたメンバーで構成されていました。訓練から麦ケ浦基地までを解説します。
1-5 本土決戦準備
大神基地も訓練基地としてだけではなく、本土決戦に備え最前線の基地として、準備が進められていました。
1-6 終戦と大分県の対応
8月15日。それは大神基地にとってもその使命を終えた日でもありました。解員の状況や大分県内の終戦処理もあわせて解説します。
1-6-1 弾薬処理とその後
大神基地を中心に弾薬処理状況を解説しています。また大神基地のその後もあわせて解説します。