①長崎三菱で生産された回天が大神基地に配備?
②第24突撃隊の回天配備
③米水津と蒲江の壕
大分県内に於ける回天配備について管理者の調べたことを解説しています。
ここに記載している内容は調査中の部分も多く含む為、はっきりしたことはまだ言えない部分もあります。
①長崎三菱で生産された回天が大神基地に配備?
「創業百年の長崎造船所」の造船記録によると回天二型のエンジン部分「六号機械」を開発していましたが、失敗し生産まで到っていません。
実際、生産していたのは甲標的を改良した「蛟竜」や水上特攻ボートの「震洋」で、製造番号も残されています。また魚雷を製造していましたが、潜水艦用の九五式魚雷と航空魚雷の九一式魚雷でした。
②第24突撃隊の回天配備
◎各種文献・資料より
大分県内には大神以外にも回天が配備されていたという文献がいくつか見られます。
「大分県の空襲」によると蒲江などにいくつか回天を配備したという記載あります。
また「激動二十年」という本には第24突撃隊に回天が配備され、訓練を実施している様子も書かれてありましたが、回天そのものの大きさの説明文に間違いがあるため(長さ;6m、直径:1m、火薬搭載量550kg)、別のものかもしれません。
佐伯には特殊潜航艇の「海龍」や半潜水艇の「邀撃艇(ようげきてい)」が配備されていました。各種戦時日誌や第二特攻戦隊及び「水上・水中特攻基地位置図」には大神基地以外の回天配備は認められませんでした。
戦後、第二復員局残務処理部により作成された日本軍戦史の「海軍の軍備並びに戦備の全貌. 其の六(敗退に伴う戦備並びに特攻戦備)」によると「Hinatadomari(日向泊浦?)」と「Gamae(蒲江)」に未配備の記載ありました。
Locations of Special Attack Base
海軍の軍備並びに戦備の全貌. 其の六(敗退に伴う戦備並びに特攻戦備)巻末資料
国立国会図書館所蔵(一部管理者編集)
※クリックすると拡大します。Ht=回天 Ms=海龍等 Sc=震洋
◎内地防衛要図
戦後、史実調査部が作成した図面です。
豊後水道部分を記載したものですが、水上水中特攻兵器の分布図です。
回天等の水上水中特攻兵器の配備に関して記載されています。
水上水中特攻兵力配備一覧・第102突撃隊引渡目録等より
※クリックすると拡大します。
海龍概略図
蛟龍概略図
波号101号潜水艦概略図
※いずれも「終戦時の日本海軍艦艇」より。
厳密には型等が存在するものもあるが、資料に掲載されたものをそのまま紹介。
クリックすると拡大します。
◎大神基地から第24突撃隊への異動命令
大神基地の通信文には昭和20年7月に入り、第二特攻戦隊より第24突撃隊の展開基地に異動命令が出ています。
7/11:呉鎮参謀長→大神zg・呉防戦P・P/2Sz・伯防P
呉鎮機密第121259番電
二特攻戦参謀と打合せ通第二十四突撃隊の展開基地に改正発令やらん 優先的は第二十四突撃隊 司令(7月1日附発令佐伯防備隊副長)の協議に応じ処理せられ度
7/13:呉鎮参謀長→大神zg(P/2SZ・呉人事部長)
呉鎮機密第130947番電
機密呉鎮命令作第九号別表に依り大神突撃隊附基地員は7月1日附24突撃隊にい動せしめらる
7/28:P/2Sz→大神zg
2SZ機密第281007番電
呉鎮命令作第九号に依る展開基地員342名(呉人機密補130の177及同105の71に依るもの)速に二十四突撃隊に転出せしむべし
この異動命令が回天基地設営のためのものかは呉鎮守府の命令文がないため詳細不明です。
◎突撃隊定員内訳表
第十特攻戦隊に所属していた第102突撃隊引渡目録には突撃隊定員内訳表が掲載されています。
その中には第24突撃隊のものがあり、そこには回天の定員も割り当てられています。
しかし、第24突撃隊引渡目録には海龍7基(佐伯航空隊「ポンド」内・爆装信管別に保管)のみが記載されてあるのみで、回天の記載はありませんでした。
以上の事から回天配備計画があり大神基地から兵員を移動しようとしたのかもしれませんが、戦局には間に合わなかったのかもしれません。
ちなみに邀撃艇(ようげきてい)は佐伯防備隊引渡目録に記載されていました。
③米水津と蒲江の壕
佐伯の米水津と蒲江にあった壕を見てきた時のようすをブログでも記載しています。
佐伯訪問記②―小浦の海龍?の壕―
佐伯訪問記⑭―蒲江編No.1―
終戦当時の航空写真はこちらです。一部管理者のほうで編集しています。
現地の方の証言によると米水津湾には特殊潜航艇(もしくは回天?海龍?)らしきの基地があり、色利浦や宮野浦で訓練をしていたとも言われています。
また楠の浦には壕を3基確認することかできました。ただ格納するには短かったため建設途中ではなかったかと思われます。
◎蒲江浦
蒲江浦には鴬谷と小向に壕がありましたが、小向の壕は道路工事のため消失してしまいました。
鴬谷には5階建ての市営住宅(2017年5月現在)の近くにある崖崩れ防止の擁壁で隠れていました。
鴬谷の壕(中は立入禁止・奥にコンクリートの壁が見える)
長さは約20m。幅約4m・高さ約3m程です。
(スマホアプリで測りましたが足元が悪く正確には計測できませんでした。ご参考までに。)
コンクリートの壁で一部を補強しているのがわかります。
現地の方の証言によると、昭和20年に入った頃(正確には不明)から建設が始まり、間に合わず終戦を迎えたとのことでした。
海龍の壕ではないかという話もありましたが、正確なところはわかっていません。
近く(蒲江中央公民館付近)に「すべり」があったとも言われています。
002-AKA