大神回天基地

D本土決戦と基地回天隊


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 @本土決戦と基地回天隊
 A回天揚収方法
 B回天作戦の戦没者数

 水上水中特攻作戦・基地回天隊等々について解説しています。

@本土決戦と基地回天隊


 1945年3月以降は敵本土上陸に備えて、スロープを設けられた巡洋艦北上や峯風型駆逐艦や松型駆逐艦・橘型駆逐艦、一等輸送艦からの発射訓練も行われました。

巡洋艦「北上」1945年 巡洋艦からの発進試験
巡洋艦「北上」1945年
(艦艇写真のデジタル着彩様より)
発進試験
(Wikipedia(En)より)
北上
巡洋艦「北上」1945年
『終戦時の日本海軍艦艇』(第2復員局 昭和22年4月)より

竣工時の橘の艦型図及び回天搭載例
竣工時の橘の艦型図及び回天搭載例
右が終戦時(1945年8月)の竹。単装機銃の配置と回天の架台は推定。
(Wikipediaより・WEB用に配置を改編)


 また敵上陸予想海域には水上・水中特攻基地が構築され、回天隊も基地施設から発進する基地回天隊の整備・編成も進められました。

 ※呉鎮守府戦時日誌には「捷号作戦」が発動された際に、「第一特別基地隊特攻部隊は九州南東、四国南方及四国西方の展開基地に進出して敵攻略部隊を撃滅する」という機密呉鎮守府命令作第36号が出ています。捷号作戦において想定されていた地域は以下の通りです。

 捷一号作戦 - 比島(フィリピン)方面
 捷二号作戦 - 九州南部、南西諸島及び台湾方面
 捷三号作戦 - 本州、四国、九州方面及び小笠原諸島方面
 捷四号作戦 - 北海道方面

 昭和19年9月18日に呉鎮守府司令長官より「特殊兵力」を配備するための具体的な地域を選定し報告をあげ、整備を進めるようにという機密呉鎮守府命令作第35号をだしています。
 大神に関連する地域は呉防備戦隊が報告をあげるようになっていました。
 (機密呉鎮守府命令呉鎮守府関連図面も参照)

 基地回天隊等の水上・水中特攻基地の配置はこの捷号作戦が「はしり」ではないかと考えられます。

水上・水中特攻基地配置図

水上・水中特攻基地配置図・管理者作成
(102突撃隊引渡目録より※1)

 ※戦後間もなく作成された「マッカーサー元帥レポート」には当時の戦況や本土決戦予想図などが多数掲載されています。
 別のページにて九州に関連するものを中心に紹介しています。→「マッカーサー元帥レポート

 しかし、戦地へ輸送中に撃沈[第18号一等輸送艦・沖縄本島・第一回天隊(白龍隊) 米潜水艦Springer(SS-414)・Mk18魚雷の雷撃により3発が命中し、N26.38-E127.12 沖縄渡名喜島沖)]されたり、回天そのものが配備されなかった隊も少なくなく、また貴重な回天が配備された基地も出撃の機会は来ることなく終戦となりました(「回天訓練基地及び基地回天隊一覧」を参照)。


白龍隊出撃記念写真 最初期に着任した回天搭乗員(訓練合間に撮影)
白龍隊出撃記念写真
最初期に着任した回天搭乗員(訓練合間に撮影)
(上2枚はいずれも回天特攻隊 KAITEN SPECIAL ATTACK FORCES様より)
※クリックすると拡大します。


SS-414・バラオ級潜水艦
USS Springer, SS-414・バラオ級潜水艦
シャチの別名、スプリンガーに因んで命名
(画像はWikipediaより)




第18号一等輸送艦沈没予想海域
※座標は大日本帝國海軍特設艦船DATA BASE様のサイトを参照

※1:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011121700、突撃隊 引渡目録 2/3(防衛省防衛研究所)



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A回天揚収方法

  
 各基地への回天輸送には潜水艦(伊156・158・162等)・第一號輸送艦(18・19・20等)が使用されました(大神は作業艇・大発による輸送も実施。7月の大発による輸送は台風の為失敗。B大神基地への大発による回天輸送を参照)。

 潜水艦によって運ばれた場合の回天は、あらかじめ指定していた時間・会合地点にくると潜水艦から切り離され、大発や作業艇が回収し、海岸まで運ばれます。

 各基地で掘られた格納壕からのびる軌道(軽便用鉄道のレールを使用?※2)が海岸から海中まで伸びていました。海中には回天用の架台があり、そこに数人がかりで回天をのせて人力の神楽桟で引き揚げていました。
 詳しくは「第33突撃隊戦時日誌戦訓部分抜粋資料」を参照してください。

回天揚収要領図
回天揚収要領図
(第33突撃隊戦時日誌の図面を元に作成※3

 大神での揚収状況は書かれてありませんが、潜水艦で輸送された場合は深江湾内には潜水艦は入らず湾外で潜り(深度15〜20m・栄松基地では最初15mでしたが、電探を発動機船が壊してしまったため20mにしています。)切り離して作業艇が回収したと思われます。
 また陸上に引き上げる際は電動捲揚機を使用していました。
 輸送艦の場合は架台ごと下す例も見られたようです。

※2:「囘天基地施設基準(防衛研究所戦史研究センター)」より。15瓩軌條 軌間1.5mで揚卸装置(軌道、運搬臺車共)は艦政本部所掌・揚陸後の格納装置は施設本部所掌となっていました。ただし囘天基地施設基準は回天二型や四型を配備することが前提になっていました。)

※3:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030310700、昭和20年3月1日〜昭和20年7月31日 第11突撃隊戦時日誌ほか(防衛省防衛研究所)

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B回天作戦の戦没者数

  
 この回天作戦や他の作戦に関わった中での戦没者は、回天搭乗員80名、回天整備員35名、潜水艦乗組員812名、前進基地による戦没者10名、訓練中殉職15名・自決者2名、第18号輸送艦乗組員225名、第一回天隊回天整備基地員120、合計1299名と言われています。

 その年齢は17歳から27歳までで平均20.9歳でした(「回天特攻作戦時期・戦没者数一覧」を参照)。




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