1944年3月、軍令部は戦局の挽回を図る「特殊奇襲兵器」の試作方針を決定し、
次のような特殊奇襲兵器を緊急に実験、開発するとしました。
㊀(まるいち)金物 潜航艇 (特殊潜航艇「甲標的」丁型「蛟龍」)
㊁(まるに)金物 対空攻撃用兵器
㊂(まるさん)金物 可潜魚雷艇(小型特殊潜水艇「海龍」)
㊃(まるよん)金物 船外機付き衝撃艇(水上特攻艇「震洋」)
㊄(まるご)金物 自走爆雷
㊅(まるろく)金物 人間魚雷(「回天」)
㊆(まるなな)金物 電探
㊇(まるはち)金物 電探防止
㊈(まるきゅう)金物 特攻部隊用兵器(震海)
1944年6月、マリアナ沖海戦で敗北した日本海軍は、空母機動部隊の再建を断念しました。
以降の日本海軍は、特殊奇襲兵器を優先的に開発し配備することを決定します。
1944年7月、大海指第431号により、以下の方法で敵艦隊および侵攻兵力を撃滅することを目標としました。
・敵艦隊を前進根拠地において奇襲する
・潜水艦・飛行機・特殊奇襲兵器などによる各種奇襲戦を実施する
・局地奇襲兵力を配備し、敵艦隊または敵侵攻部隊の海上撃滅に努める
1945年1月18日、大本営と政府主要閣僚の集まる最高戦争指導会議(大本営政府連絡会議)において、全軍特攻化が日本軍の最高戦略となるのです。
こうして、軍上層部の主導の下に人間魚雷「回天」が開発・量産され、特攻隊員の編成や訓練が組織的に行われるようになったのです。
以下、概略図です(クリックすると拡大します)。
●上記以外の特殊潜航艇概略図